大日本帝国はなぜ崩壊したのか?最大領土と軍部の実態を年表で暴く

大日本帝国はなぜ崩壊したのか?最大領土と軍部の実態を年表で暴くに関する気になる情報を徹底的にまとめました。詳細を読もうことができます。

1889年の憲法発布から1945年の降伏文書調印に至るまで、帝国は激動の対外戦争と政治的変遷を経験しました。まずはその全体像を時系列で整理します。

年代・西暦重要出来事と政局当時の首相・主導勢力編集部の分析・歴史的転換点1889年(明治22年)大日本帝国憲法発布黒田清隆(起草:伊藤博文)アジア初の近代立憲君主制を確立。しかし統帥権の独立条項が後世の火種となる。1894–1905年日清・日露戦争の勝利伊藤博文、山県有朋、桂太郎台湾割譲、遼東半島権益を獲得。欧米列強と肩を並べ、軍部の発言力が急速に拡大。1931–1932年満州事変、満州国建国宣言若槻礼次郎、犬養毅、斎藤実関東軍の独走を政府が追認。五・一五事件で政党政治が崩壊し、国際連盟脱退へ直行。1937–1941年日中戦争勃発、太平洋戦争開戦近衛文麿、東条英機泥沼の中国戦線から南方資源地帯の占領へ舵を切り、対米英開戦を選択。不可逆の破滅へ。1945年(昭和20年)ポツダム宣言受諾、降伏文書調印鈴木貫太郎、東久邇宮稔彦王広島・長崎への原爆投下とソ連参戦を経て終戦。GHQの占領下で帝国体制は完全終焉。

歴代首相の系譜を追うと、明治期の元老(伊藤博文や山県有朋ら)が存命だった時代は、内閣・議会・軍部の対立を元老の政治力で調停できていました。しかし大正から昭和初期にかけて調停役が姿を消すと、大日本帝国憲法が孕んでいた「軍事統帥の独立」と「政治責任の曖昧さ」が露呈し、国策の統合が不可能になっていきます。

田中 結衣

田中 結衣

デジタルマーケティングコンサルタント

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。

Share this article
Twitter Facebook Pinterest