鮎川義介の家系図と子孫の現在|日産創業家と井上馨・岸信介の血脈
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日産コンツェルンの創始者である鮎川義介(1880年〜1967年)のルーツは、長州藩(現在の山口県)の中級武士の家柄にあります。父は鮎川弥八、母はナカ。明治維新の動乱と廃藩置県によって実家は一時困窮を極めましたが、彼の一族には近代日本を動かす絶対的な後ろ盾が存在していました。それが、母・ナカの叔父(義介にとっては母方の大叔父)にあたる明治の元勲・井上馨です。
井上馨は、伊藤博文らとともに長州五傑として幕末の英国へ密航留学し、明治新政府では外務卿や大蔵卿、内務大臣を歴任した大物政治家です。義介の母方の祖母である常子が井上馨の実姉であったことから、鮎川家は長州閥の最高幹部と直接の血縁で結ばれていました。
しかし、当時の記録や自著の手記によれば、義介は単なる「元勲の親戚」という甘えた立場に安住しませんでした。東京帝国大学工科大学機械工学科を卒業した際、井上馨から官僚や一流企業への斡旋を打診されたものの、義介はこれを固辞。「技術の現場を知らねば産業の近代化は成し遂げられない」として、素性を隠して日給84銭の職工として芝浦製作所(現在の東芝)の工場に入り、泥にまみれて鋳造技術を学びました。この徹底した現場主義と工員経験こそが、のちに日産コンツェルンを築く強固な礎となったのです。