「七転八起」なぜ8回起きるのか?達磨の由来や七転八倒との違い
「七転八起」なぜ8回起きるのか?達磨の由来や七転八倒との違いの真相や最新動向に迫る! 専門的な視点で紐解きます。
ことわざや四字熟語として定着している七転八起の読み方は、音読みで「しちてんはっき」と読むのが正式ですが、訓読みに基づく「ななころびやおき(七転び八起き)」という表現でも広く認知されています。公益財団法人日本漢字能力検定協会の配当漢字基準でも漢検5級レベルに分類される極めて身近な語彙です。
しかし、多くの人が一度は突き当たるのが「七転八起はなぜ8回起きるのか」という計算上の疑問です。物理法則として考えれば、立っている人間が倒れて起き上がるプロセスを繰り返す場合、「1回転んで1回起きる」わけですから、7回転んだのであれば起き上がる回数も7回で事足りるはずです。この1回のギャップには、主に3つの有力な説が存在します。
最も広く支持されているのが、人間の誕生時を「最初の立ち上がり」と見なす説です。人間は誰もが自力で立てない無力な赤ん坊として、横たわった状態で世に生を受けます。そこから成長し、人生で初めて自らの足で立ち上がった瞬間こそが「1起き目」です。その後、人生の荒波の中で7回転び、その都度7回立ち上がれば、合計の立ち上がり回数は「1+7=8回」となります。人生の出発点を勘定に入れているという、極めて詩的で深い人生哲学が宿っています。
二つ目は、七転八起の由来・語源の中核を担う「達磨大師(だるま)」と起き上がり小法師の存在です。中国禅宗の開祖である達磨大師は、中国・嵩山の少林寺で9年間もの間、壁に向かって坐禅を組み続けた「面壁九年(めんぺきくねん)」の伝説で知られます。手足が腐り落ちてもなお悟りを求めたという苛烈な逸話から、日本では室町から江戸時代にかけて、底に重りを入れた張り子の玩具「起き上がり小法師」や「だるま」へと昇華しました。転がしても即座に起き上がり、最後は「常に立っている状態」で静止する縁起物の姿が、何度倒れても必ず立ち上がって終わる「8回目の起立」を象徴するようになったと伝えられています。
三つ目は、古代中国の数秘術や易学における「七」と「八」の象徴的用法です。古来、東洋思想において「七」や「八」は単なる実数ではなく、「数多くの困難」「無限の広がり」を意味する慣用表現として多用されてきました。「七難八苦」や「七手八脚」と同様に、人生に降りかかる無数の挫折(七)に対して、それを上回る圧倒的な意志力(八)で立ち向かう決意を数字の対比で表しているのです。