『たったひとつの冴えたやりかた』結末の真相と涙の理由を徹底解剖
『たったひとつの冴えたやりかた』結末の真相と涙の理由を徹底解剖の注目ポイントを分かりやすくまとめてご紹介します。
本作を語る上で欠かせないのが、原題『The Only Neat Thing to Do』を『たったひとつの冴えたやりかた』と意訳した、名翻訳家・浅倉久志 訳の存在です。このタイトルは、日本のSF史のみならず翻訳文学史上でも最高峰の傑作邦題として知られています。
英語の「neat」という単語には、「整然とした」「こぎれいな」「無駄のない」という意味のほかに、口語・スラングとして「すてきな」「格好いい」「見事な」というニュアンスが含まれます。コーリーのような10代の少女が日常会話で使う「Cool!」や「Awesome!」に近い感覚です。しかし、作中においてコーリーが直面した状況は、全人類を救うために自らを灰燼に帰すという究極の選択でした。
もしこれを直訳して「行うべき唯一の適切なこと」や「唯一の小ぎれいな解決策」としてしまえば、少女の持つ小生意気な魅力や、破滅を前にしてもユーモアを失わないストイシズムは完全に失われていたはずです。「冴えたやりかた」という日本語を当てたことで、「誰にも迷惑をかけず、スマートに、最高に格好よく問題を片付ける」というコーリーのダンディズムと、その裏にある悲愴感が奇跡的な調和を遂げました。
なお、タイトルの元ネタ・背景思想としては、アーネスト・ヘミングウェイの短編『清潔で、日当たりのいい場所』に見られるような、死の虚無に立ち向かう「端正さ(Cleanliness/Neatness)」の概念や、著者が軍隊・諜報機関の現場で培った「後始末の美学」が色濃く反映されていると文学研究者の間で分析されています。