船の科学館はなぜ解体へ?閉館の深層と跡地動向・宗谷の現在を追う
船の科学館はなぜ解体へ?閉館の深層と跡地動向・宗谷の現在を追うの具体的な内容に迫る! 専門的な視点でまとめました。
本館の解体という重苦しいニュースの陰で、来訪者に希望を与え続けているのが、岸壁に係留されている初代南極観測船「宗谷」です。
「奇跡の船」と称される宗谷は、1938年(昭和13年)の建造から太平洋戦争を生き延び、戦後の引揚船、そして日本を熱狂させた南極地域観測隊の派遣船、さらには海上保安庁の巡視船として過酷な海を渡り歩いてきました。東京都指定の有形文化財(歴史資料)に指定されている本船は、本館解体工事中も保存・公開が継続されています。
宗谷の見学エリアに足を踏み入れると、昭和の隊員たちが過酷な極寒の海に挑んだ当時の息遣いがそのまま残されています。操舵室の計器類、木製の通信卓、過酷な航海を共にした樺太犬タロとジロのブロンズ像や犬舎など、本物の重みと木と鉄の匂いが五感を刺激します。維持管理には船体各部のドック入りや定期的な塗装補修が不可欠であり、ボランティアによる保全活動と全国からの寄付金がこの貴重な歴史遺産を支え続けています。
一方、かつて船の科学館のもう一つのシンボルとして並んで係留されていた青函連絡船「羊蹄丸」の運命は、実に対照的なものでした。
羊蹄丸は1996年から船の科学館で保存公開されていましたが、維持費用の肥大化と本館の展示休止に伴い、2011年に愛媛県新居浜市へ無償譲渡(移託)されました。その後、現地での海洋・産業振興イベントに活用されたものの、引き受け先における恒久的な維持管理資金の確保が難航。最終的には2012年に香川県多度津町で解体され、スクラップとして処分されるという悲運の幕切れを迎えました。
「巨大船舶を水上に浮かべたまま恒久保存する」という行為がいかに天文学的な維持管理費用と技術的負担を伴うか、羊蹄丸の消滅と宗谷の生存は、近代産業遺産の保存が直面するシビアな現実を物語っています。