信長・文麿・光秀が交錯!細川護煕の家系図が明かす華麗な血脈
信長・文麿・光秀が交錯!細川護煕の家系図が明かす華麗な血脈の概要と注目ポイントを一挙に解説しました。
政界を去った後、細川護煕氏が選んだ道は陶芸家・文人としての生き方だった。湯河原の山荘で土をこね、書をたしなみ、茶道を嗜む。この鮮やかな転身もまた、肥後細川家が代々育んしてきた文武両道の遺伝子と無縁ではない。
初代・藤孝は当代随一の教養人であり、古今伝授の継承者であった。また忠興も利休七哲の一人に数えられた茶の湯の達人だ。権力の座に執着せず、風雅の道に遊ぶ風情。権力闘争の果てに風流へ向かう態度は、細川家の血脈が脈々と受け継いできた美学そのものである。