上原浩治のドラフト真相|メジャー拒否と巨人逆指名を選んだ理由
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上原浩治のキャリアを語る上で欠かせないのが、エリート街道とは対極に位置する東海大仰星高校時代と1年間の浪人生活です。
高校時代の上原は、後に日本ハムやレンジャーズで活躍する同級生・建山義紀の控え投手に甘んじ、外野手や控え投手として過ごす日々が続きました。甲子園出場を果たせないまま高校を卒業し、体育教師を目指して大阪体育大学を受験するも不合格。ここから、過酷な浪人生活が幕を開けます。
予備校に通いながら、引越しのアルバイトやジム通いで学費と生活費を工面し、夜には街灯の下や公園で黙々とシャドーピッチングや走り込みを敢行しました。野球部という組織に属さず、孤独の中で己の肉体と向き合い続けたこの1年間に、強靭な下半身と抜群の制球力の土台が形成されます。
1年の浪人を経て入学した大阪体育大学では、眠っていた才能が一気に開花しました。阪神大学野球連盟リーグ戦で積み上げた通算成績は36勝4敗、奪三振記録の樹立、最優秀投手賞などタイトルを総なめにする圧倒的な実績でした。最速140km/h台後半の伸びのあるストレートと鋭く落ちるフォークボールのコンビネーションは、アマチュア球界随一と評されるまでに成長。松坂大輔のような甲子園のスターを「エリート(温室育ち)」とするならば、自らは道端に踏まれても立ち上がる「雑草」であると位置づけた、代名詞「雑草魂」の精神的支柱はこの時代に完成しました。