億超え落札とロレンスの光影!ブラフシューペリアSs100の真実

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ブラフ・シューペリアを語る上で避けて通れないのが、「二輪のロールスロイス(Rolls-Royce of Motorcycles)」という別格の異名だ。世の中に「〇〇界のロールスロイス」と自称する製品は数多存在するが、ブラフ・シューペリアの場合は決定的な違いがある。創業者のジョージ・ブラフが1920年代半ば、当時すでに四輪の最高峰として君臨していたロールス・ロイス社に対し、このフレーズを宣伝広告に使用する許可を直談判した。ロールス・ロイス社の厳格な検査官がノッティンガムのブラフ工房を訪れ、手作業による寸分の狂いもない組み立て工程、パーツのポリッシュ仕上げ、そして妥協なきロードテストを視察した結果、「この品質であれば名を冠することを許す」と公式に承認を与えたという逸話が残されている。

そして、この孤高のマシンに魂を奪われた代表格が、「アラビアのロレンス」ことイギリスの陸軍将校トーマス・エドワード・ロレンス(T.E.ロレンス)だ。ロレンスは生涯で7台ものブラフ・シューペリアを乗り継ぎ、それぞれに「ボアネルゲス(雷の子)」と名付けて溺愛した。彼が知人へ宛てた書簡には、「オートバイに乗っているとき、私は地上のあらゆる束縛から解き放たれ、純粋な運動の歓喜そのものになる」という狂おしいまでの疾走への陶酔が綴られている。第一次世界大戦の砂漠の戦火で心身を深く消耗したロレンスにとって、SS100の猛烈な加速と機械としての完璧な調和だけが、孤独な精神を救済する唯一の処方箋だった。

しかし、その疾走が残酷な終焉を呼ぶ。1935年5月13日、英国ドーセット州クラウドズ・ヒルの自宅近くの細い起伏のある舗装路をSS100で走行中、前方の窪みから突如現れた自転車の少年2人を避けるため急激な回避行動を余儀なくされ、ロレンスは路面へ投げ出された。頭部を強打した彼は意識を回復することなく、6日後の5月19日に46歳で息を引き取った。当時ヘルメットは着用されておらず、この事故の検死と治療を担当した脳神経外科医ヒュー・ケアンズは深い衝撃を受け、以後のオートバイ乗車時における頭部保護の研究に没頭。英国軍におけるヘルメット着用の義務化、ひいては現代のモーターサイクル用ヘルメットの世界的普及へとつながる契機となった。

中村 さくら

中村 さくら

マネー&キャリアエディター

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。

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