信楽高原鉄道事故の真相とJr西日本の責任|42名犠牲の教訓と現在
信楽高原鉄道事故の真相とJr西日本の責任|42名犠牲の教訓と現在の注目ポイントを詳しく解説してご紹介します。
事故当日、信楽町では「世界陶芸祭セラミックワールドしがらき'91」が開催されており、会場へ向かう観光客で車内は超満員でした。事故に巻き込まれたのは、JR京都駅から信楽駅へ直通運転していた世界陶芸祭 臨時列車「世界陶芸祭しがらき号」(3両編成、乗客約700名)と、信楽駅から貴生川駅へ向かっていた信楽高原鐵道の上り普通列車(4両編成、乗客約250名)です。
現場となった信楽線は全線単線のローカル線であり、本来であれば途中にある「小野谷信号場」で列車同士がすれ違う(列車交換を行う)運行ダイヤが組まれていました。しかし、信楽駅を出発するはずの上り普通列車の出発信号機が、定刻になっても「赤(停止信号)」から「青(進行信号)」に変わらない深刻な信号トラブルに見舞われます。
駅員らは信号機の点検を試みたものの回復せず、イベント輸送のダイヤ乱延を恐れた運行管理者は、「小野谷信号場で対向列車が待っているはずだ」と独断で判断。赤信号を無視して発車を指示する「誤出発」を決行してしまいました。一方、対向のJR臨時快速列車は、信号システムの回路設計ミスにより小野谷信号場の青信号を受けてそのまま単線区間へ進入。10時35分頃、見通しの悪いカーブ(小野谷信号場~紫香楽宮跡駅間)で両列車はブレーキも間に合わず、時速約60km同士で正面衝突したのです。