矢沢永吉『時間よ止まれ』誕生秘話!資生堂Cmと坂本龍一参加の真相

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1970年代後半の日本のロック界において、企業CMへの楽曲提供やタイアップは「商業主義への魂の売却」として熱狂的なファンや硬派な音楽評論家から激しく忌み嫌われていました。キャロル解散後、ソロアーティストとして自らの城を築きつつあった矢沢永吉もまた、当初はCMソングの依頼に強烈な違和感を抱いていました。当時の取材記録や回想録によると、オファーを持ちかけたのは資生堂の1978年春のキャンペーン「資生堂ビューティケイク」の制作陣でした。

当時の資生堂キャンペーンは、春と秋に巨額の広告費を投じて全国の女性のファッショントレンドを決定づける文化現象そのものでした。起用されたモデルは、当時若干19歳で類まれなエキゾチックな美貌を誇った堀川まゆみ(現・Mayumi、後にシンガーソングライター・作曲家としても活躍)。南国の強い日差しの中で彼女が見せる憂いを帯びた視線と、キャッチコピー「時間よ、止まれ。春のゆらめき」に寄り添う楽曲として、白羽の矢が立ったのが矢沢でした。

「ロックンローラーが化粧品のCM曲なんて歌えるか」という周囲の反発をよそに、矢沢は「大衆を巻き込んで勝つことこそが本物のロックだ」と腹を括りました。自伝『成りあがり』でも語られている「成りあがって何が悪い」という強烈な反骨精神は、閉鎖的なロック村の掟を破り、巨大なマスマーケットへ正面から殴り込みをかける決断へと結びついたのです。

田中 結衣

田中 結衣

デジタルマーケティングコンサルタント

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。

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