無原罪の御宿りと処女受胎の違いとは?名画のシンボルと教義の真実を解説
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現在でこそカトリックの確固たる教義となっている「無原罪の御宿り」ですが、教会内ですんなり合意されたわけではありません。中世ヨーロッパでは、神学者たちの間で激しい論争が何世紀にもわたって繰り広げられました。
トマス・アクィナスを擁するドミニコ会は「キリストの贖罪は全人類に及ぶのだから、マリアも一瞬たりとも原罪なしでは説明がつかない」と反対姿勢を取りました。対してドゥンス・スコトゥスらフランシスコ会は「キリストの完璧な救いとは、罪に落ちた者を救い出すだけでなく、あらかじめ罪に染まらないよう予防することも含まれる(予防的贖罪)」と主張し、激しく対立したのです。
民衆の熱烈なマリア崇敬にも後押しされ、この長い論争に終止符を打ったのが教皇ピウス9世でした。1854年12月8日、教皇ピウス9世は使徒憲章『イネファビリス・デウス(言語に絶する神)』を発布し、「無原罪の御宿り」をカトリック信徒が信ずべき「不可謬(誤り得ない)の教義(ドグマ)」として公式に宣言しました。
この教義制定の正当性をさらに決定づけたのが、わずか4年後の1858年にフランスの寒村で起きた「ルルドの泉の聖母出現」です。
14歳の貧しい羊飼いの少女ベルナデッタ・スビルーの前に現れた美しい貴婦人は、少女が「あなたのお名前は何ですか」と尋ねた際、現地のピレネー方言でこう答えました。
「私は無原罪の宿りです(Que soy era Immaculada Councepciou)」
読み書きもできず、難解な神学用語など知る由もなかった田舎の少女が、ローマで制定されたばかりの教義の名前を正確に口にした事実は当時の教会関係者に凄まじい衝撃を与えました。この出来事により、教皇庁はルルドの出現を公認し、「無原罪の御宿り」は信徒の間で揺るぎない確信として定着していったのです。