『天皇の料理番』はどこまで実話?秋山徳蔵の真実とキャストの現在
『天皇の料理番』はどこまで実話?秋山徳蔵の真実とキャストの現在について押さえておきたい ポイントを分かりやすく解説いたします。
ドラマ『天皇の料理番』で描かれた数々の破天荒なエピソードは、決してフィクションの誇張ばかりではありません。主人公・秋山篤蔵のモデルとなったのは、福井県今立郡村国村(現・越前市)の大地主の家に生まれた秋山徳蔵(旧姓:高森徳蔵、1888年〜1974年)です。
幼少期の徳蔵は、何をやっても長続きしない熱しやすく冷めやすい性格で、手を焼いた両親によって禅寺へ預けられたものの、わずか1年足らずで素行不良により追い出されたという逸話が残っています。そんな彼が料理の道に目覚めたきっかけは、実家に出入りしていた鯖江連隊の将校集会所(旧陸軍)厨房で振る舞われた、一切れの「ビーフカツレツ」の衝撃的な美味さでした。それまで精進料理や和食しか知らなかった少年にとって、濃厚なドミグラスソースと牛肉の組み合わせはまさに未知の天変地異だったのです。
料理への情熱に取り憑かれた徳蔵は16歳で単身東京へ上京。華族会館の厨房で見習いとして入り、下働きから過酷な修行をスタートさせました。その後、築地精養軒や芝浦グラウンドホテル(現・芝パークホテル関連)で西洋料理の技法を貪欲に吸収した徳蔵は、20歳を過ぎてさらなる高みを目指し、当時の日本人としては極めて異例であった本場フランス・パリへの単身渡仏を決意します。
パリでは、言葉の壁や人種差別に晒されながらも、名門レストラン「オテル・リッツ」などで修行を重ね、近代フランス料理の父と称される名料理長オーギュスト・エスコフィエの直弟子として頭角を現しました。そして1913年(大正2年)、大正天皇の即位の礼(御大典)の饗宴を取り仕切る総料理長を探していた宮内省から白羽の矢が立ち、若干26歳の若さで初代宮内省主厨長に抜擢されるという、前代未聞の快挙を成し遂げたのです。