竪穴式住居はいつまで使われた?平安鎌倉、近代まで残った歴史の真相
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「竪穴式住居はいつまで使われたのか」という疑問に対し、全国一律の明確な年号を挙げることはできません。日本列島は南北に長く、気候風土も中央政権の影響力も地域によって大きく異なっていたからです。しかし、大まかな年代別の分布を追うだけでも、一般的なイメージとはかけ離れた事実が浮かび上がります。
教科書の年表では、弥生時代の後に「古墳時代」「飛鳥・奈良時代」「平安時代」と華やかな貴族文化や宮殿、寺院建築が並びます。そのため、一般庶民も時代に合わせてステップアップした住まいに暮らしていたと錯覚しがちです。しかし、文化庁の『埋蔵文化財関係統計資料』や各地の埋蔵文化財センターによる発掘調査報告書を精査すると、古墳時代の庶民住居のほぼ100%が竪穴式住居であり、奈良時代を迎えても東日本では集落の大部分が竪穴式住居のままでした。
地域ごとの終焉時期を追うと、明確なグラデーションが存在します。
畿内を中心とする西日本エリアでは、平安時代前期(9世紀から10世紀初頭)にかけて平地式の掘立柱建物への転換が進み、竪穴式住居は急速に姿を消していきました。一方で、関東地方を中心とする東日本エリアでは、平安時代末期から鎌倉時代初期(11世紀〜12世紀)まで竪穴式住居が機能していました。さらに寒冷な東北地方に至っては、鎌倉時代中盤(13世紀頃)まで集落内に竪穴式住居が密集して作られていた事実が、数々の発掘現場から報告されています。