大仙陵古墳は誰の墓?教科書の呼称変更と発掘で迫る世界遺産の真相

大仙陵古墳は誰の墓?教科書の呼称変更と発掘で迫る世界遺産の真相に関する疑問を丁寧にまとめました。専門的な情報をご覧ください。

教育現場や歴史ファンの間で長年議論を呼んできたのが、この古墳の「名称」をめぐる変遷です。昭和から平成初期にかけて育った世代には「仁徳天皇陵(にんとくてんのうりょう)」という名称が深く定着していますが、現在の大手教科書(山川出版社や東京書籍など)では「大仙陵古墳」あるいは「大仙古墳(伝仁徳天皇陵)」という表記が主流となっています。

この変化の根底にあるのは、「信仰・祭祀の対象」と「考古学的な客観的事実」の峻別です。

宮内庁は現在も本古墳を「仁徳天皇 恵美津愛斐原陵(えみつのあいにはらのみささぎ)」として陵墓治定(りょうぼじじょう)しています。しかし、考古学の観点からは、当時の埋葬記録や墓誌などの決定的な文字資料が出土していない以上、「仁徳天皇の陵であると100%断定することは学術的に不可能」と判断されます。そのため、考古学会では所在地の地名(堺市堺区大仙町)を冠した「大仙古墳」または「大仙陵古墳」を標準的な学術名称として採用するに至りました。

教科書会社各社への取材や学習指導要領の変遷を辿ると、単に名称を差し替えたのではなく、「学術的な遺跡名」と「歴史的・伝承的な陵墓名」の両方を併記することで、歴史の多面的な見方を養う狙いがあることが分かります。

森 瞳

森 瞳

ヘルス&ウェルネスアドバイザー

暮らしを豊かにする便利アイテムや時短アイデアを中心に、実用的な情報をお届けします。

Share this article
Twitter Facebook Pinterest