吉田茂の家系図が凄すぎる!大久保利通・麻生太郎・皇室を繋ぐ閨閥の真実
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「華麗なる一族」の頂点に君臨した印象の強い吉田茂ですが、その出自は決して平坦なエリートコースの敷石ばかりではありませんでした。むしろ生い立ちは複雑を極め、二人の父親の数奇な運命が彼の強烈な気骨を形作っています。
吉田茂の実父は、土佐藩出身の武士で自由民権運動の闘士として知られた竹内綱です。板垣退助の右腕として活動した竹内綱は、明治10年(1877年)の西南戦争前後に反政府陰謀への関与を疑われて投獄されます。その獄中にあった明治11年(1878年)、東京・神田駿河台で芸妓の女性との間に生まれたのが茂でした。竹内綱の五男として生を受けながらも、訳あって生後まもなく里子に出される運命を辿ります。
茂を引き取った養父が、旧福井藩士で後に実業家として台頭した吉田健三です。健三はイギリスの巨大商社「ジャーディン・マセソン商会」の横浜支社総代理店を務め、生糸や軍需物資の貿易で莫大な富を築いた人物でした。養母の士子(士族の娘)とともに茂を可愛がり、イギリス流の厳格な教育と自由な気風を叩き込みます。
転機は、茂がわずか11歳の時に訪れました。明治20年(1887年)、養父・健三が40歳の若さで急逝したのです。一人息子の養子であった茂は、推定約50万円にのぼる莫大な財産を一手に相続しました。当時の米価や公務員の初任給(当時は月給10円前後)から試算すると、現代の価値にしておよそ数十億から百億円規模に匹敵する天文学的な資産です。
自著『回想十年』などでも触れられている通り、この経済的基盤があったからこそ、吉田茂は官僚機構の出世競争や政治資金の利権に媚びることなく、自らの信念を押し通す「ワンマン」たる独立独歩の姿勢を貫くことができたのです。土佐の反骨精神を受け継いだ実父・竹内綱の血と、横浜の国際貿易資本を遺した養父・吉田健三の富。この二つの土台がなければ、戦後の大宰相・吉田茂は誕生していませんでした。