東声会とは何だったのか?町井久之の興亡と2026年現在の東亜会を追う
東声会とは何だったのか?町井久之の興亡と2026年現在の東亜会を追うの真相について、分かりやすい解説を詳しくお届けします。
町井久之が築き上げた帝国の象徴が、1973年に六本木7丁目に建設された「TSK・CCCビル(東亜相互企業・セレブリティーズ・カーニバル・クラブ)」でした。オープン時には日韓の政財界重鎮、大物芸能人、プロスポーツ選手が多数詰めかけ、東洋屈指の歓楽殿堂と呼ばれました。
しかし、この巨大複合施設は町井にとって栄華の頂点であると同時に、没落の始まりでもありました。オイルショックや放漫経営、さらに児玉誉士夫が失脚した「ロッキード事件」の余波を受け、東亜相互企業は巨額の負債を抱えて破綻します。ビルは長年にわたり複雑怪奇な権利関係が交錯する「東京最後の一等地・幽霊ビル」として塩漬けにされ、バブル崩壊後の2000年代初頭にようやく解体されました。
町井久之の家族関係に目を向けると、町井は2002年9月に79歳でこの世を去りました。かつて栄華を極めた巨額の資産の多くは債権処理に消え、家族や親族がその表舞台に立つことはありませんでした。TSKビルの跡地は現在、六本木ミッドタウン至近の高級商業施設やマンション群へと変貌を遂げており、かつてアンダーグラウンドの巨頭が君臨した痕跡は日常の街並みから完全に消え去っています。
現在、東亜会の本部拠点は東京都港区六本木の一角に維持されていますが、かつてのような街頭での威圧感や派手な活動は見られません。古参の六本木飲食店関係者は次のように証言しています。
「昭和の時代は町井さんの名前一つで街が動いたが、今は昔の話。街のオーナーも外資系や大手デベロッパーに代わり、往時を知る人間もほとんどいなくなった」