チャーリー浜の死因と波乱の生涯|4度の結婚と名ギャグの真相
チャーリー浜の死因と波乱の生涯|4度の結婚と名ギャグの真相の注目ポイントを分かりやすくまとめてご紹介します。
チャーリー浜氏の芸能史を語る上で外せないのが、昭和から平成への転換点に巻き起こした空前のギャグブームです。1962年に吉本興業へ入門した当初は、甘いマスクを活かした二枚目志望の歌い手や劇団員としてのスタートでした。芸名も「浜裕二」「浜ひろし」と変遷をたどり、花紀京氏や岡八郎氏といった巨頭の背中を追いかけながら、泥臭い下積みを経験しています。
転機が訪れたのは1989年、吉本新喜劇が存亡の危機に瀕して断行された「吉本新喜劇やめよッカナ?キャンペーン」でした。座員の世代交代が荒波のように押し寄せる中、すでにベテランの域に達していた浜氏は生き残りを賭けてキャラクターを一変させます。アメリカナイズされたキザな紳士を装いながら、突如として奇矯なイントネーションで喋り出す特異な芸風を確立したのです。
代表的なギャグの数々は、緻密な計算というよりも、日常の会話や共演者とのアドリブの摩擦から偶発的に産み落とされました。
なかでも1991年にサントリー「ポケメシ」のCMを契機に日本中を席巻した「…じゃあーりませんか」は、1991年の「新語・流行語大賞」年間大賞を受賞。当時、関西ローカルの劇場文化と見なされていた新喜劇の言葉が、全国の大人から子どもまで日常会話で模倣される社会現象となった瞬間でした。