吉本せいの朝ドラは2作品!わろてんかとブギウギ比較と実話の真相
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吉本せいの生涯を振り返る上で欠かせないのが、実弟である林正之助と林弘高の存在です。夫の死後、せいは若き弟たちを経営の中枢に抜擢しました。正之助は卓越した行動力と冷徹な手腕で「吉本王国」の拡大を指揮し、弘高は東京支社長として浅草や新宿の劇場を押さえ、東京進出を成功させました。
せいが成し遂げた近代化の功績は計り知れません。それまで「万歳」と呼ばれていた伝統芸能を、背広姿でテンポよく掛け合う「漫才」へとアップデートさせ、横山エンタツ・花菱アチャコなどの大スターを育成。さらに当時最先端のメディアであったラジオ放送に芸人をいち早く出演させ、1938年には大阪のシンボルである通天閣を買収するなど、現在の吉本興業のビジネスモデルの骨格を完成させました。
しかし、経営の頂点に登り詰めるのと反比例するように、家庭環境は崩壊の一途をたどります。せいは泰三との間に2男6女をもうけましたが、長男・泰典をはじめ多くの子どもが感染症などで相次いで夭折。唯一の希望であり、溺愛した次男・穎右までもが23歳の若さで結核に倒れました。最愛の息子を失ったせいの精神的打撃は凄まじく、周囲の証言によれば「一晩中泣き明かし、すっかり生気を失ってしまった」と伝えられています。
昭和20年代に入ると、吉本興業の実権は完全に弟の林正之助へと移行していきました。せいは会長職へと退き、兵庫県西宮市苦楽園の豪邸で静かに余生を過ごすことになります。そして1950年(昭和25年)3月14日、死因は長年患っていた肺結核により、60年の激動の生涯に幕を下ろしました。男児の直系後継者をすべて失っていた吉本家において、会社の経営権は林家に握られ、せいの直系子孫が吉本興業のトップに立つことは二度とありませんでした。