正力松太郎の光と影|巨人・テレビ・原発を生んだメディア王の真相
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正力が希代のメディア王たる所以は、新聞という活字メディアの枠に収まらず、「大衆熱狂のプラットフォーム」を自ら創り出した点にあります。
1934年、正力は莫大な借金を背負いながらも、メジャーリーグの伝説的スターであったベーブ・ルースやルー・ゲーリッグら米大リーグ選抜チームの日本招聘を実現させました。日米野球は大熱狂を巻き起こし、この選抜チームと対戦するために結成された「大日本東京野球倶楽部」こそが、のちの読売ジャイアンツ(巨人軍)です。
プロ野球という新しいエンターテインメントを根付かせることで、自社紙面で独占的に報道し、新聞の購読者を増やす――このクロスメディア戦略は完璧に機能しました。プロ野球の発展に貢献した人物に贈られる「正力松太郎賞(正力賞)」が現在も球界最高峰の栄誉として選考基準(日本一への貢献度、指導力、話題性など)を厳格に保っているのは、正力が日本プロ野球の礎を築いた張本人だからに他なりません。
戦後、公職追放が解除されると、正力は新たなメディアである「テレビ放送」に着目します。1953年、日本初の民間テレビ放送局として日本テレビ放送網(NTV)を開局。家庭に受像機が普及していなかった黎明期、東京中の主要駅や繁華街に「街頭テレビ」を無償設置し、力道山のプロレス中継や巨人戦を放映して大衆を釘付けにしました。新聞と電波、そしてスポーツの熱狂を融合させたこのスキームは、戦後日本の高度経済成長期における商業メディアモデルの原型となったのです。