ハル・ノートとは?日米開戦の決定打となった「衝撃の要求」と真相を徹底解説

ハル・ノートとは?日米開戦の決定打となった「衝撃の要求」と真相を徹底解説について知っておくべき 注意点を分かりやすい構成で解説いたします。

ハル・ノートの本質を理解するには、1941年に至るまでの日米開戦の経緯を俯瞰する必要があります。1937年に勃発した日中戦争(支那事変)が泥沼化するなか、日本は資源確保と包囲網突破を目指し、1940年に北部フランス領インドシナ(仏印)、1941年7月には南部仏印へと進駐しました。

東南アジアの天然ゴムや石油資源に手を伸ばす日本の南進政策に対し、米国は強烈な経済制裁で対抗します。在米日本資産の凍結に踏み切っただけでなく、日本の軍事・産業の生命線であった対日石油輸出の全面禁止を断行しました。さらにイギリス、オランダ、中国(中華民国・重慶政府)と連携した「ABCD包囲陣」を形成し、日本経済を兵糧攻めに追い込んでいったのです。

当時、備蓄石油が残り2年分を切っていた日本にとって、石油禁輸の解除は国家存亡に関わる最優先課題でした。日本側は海軍穏健派の野村吉三郎大使を窓口に、ワシントンで粘り強く日米交渉を継続しました。しかし、アジアにおける勢力均衡と門戸開放を譲らない米国との溝は埋まらず、交渉が限界に達したタイミングで突きつけられたのがハル・ノートでした。

中村 さくら

中村 さくら

マネー&キャリアエディター

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。

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