福島原発・吉田所長の真実|海水注入の決断と吉田調書が語る死闘の光影

福島原発・吉田所長の真実|海水注入の決断と吉田調書が語る死闘の光影の見逃せないポイントを一挙に解説しました。

2011年3月11日14時46分、マグニチュード9.0の巨大地震が東北地方を襲いました。福島第一原発では運転中だった1〜3号機が自動停止したものの、その後に襲来した想定高さを遥かに超える巨大津波によって非常用ディーゼル発電機が水没。全交流電源を喪失する「ステーション・ブラックアウト(SBO)」という、技術者たちが最も恐れていた破局的シナリオに直面しました。

当時、現場の司令塔となったのが敷地内に新設されていた福島第一原発事故の免震重要棟でした。外の放射線や揺れを遮断する強固な構造を持っていたこの建物に、幹部や運転員たちが集結。しかし、計測器の電源すら失われた暗闇の中で、原子炉内部の水位や圧力を把握することは極めて困難を極めました。

現場を率いた吉田昌郎の経歴を振り返ると、東京工業大学大学院で原子核工学を修めた生粋の技術屋でした。東京電力入社後は主に原子力発電の保守・保全部門を歩み、社内でも「豪快で部下思いの熱血漢」「歯に衣着せぬ現場至上主義者」として信望を集めていました。2010年6月、まさに事故のわずか9カ月前に第一原発の所長に着任したばかりだった彼に、日本近代史上最大の産業事故の収拾という重責がのしかかったのです。

津波によって注水ポンプの機能を奪われた1号機では、崩壊熱によって炉心溶融(メルトダウン)が進行。放射線量が急上昇する過酷な建屋環境の中、吉田所長は決死の覚悟を持つベテラン運転員たちを募り、手動によるベント(原子炉格納容器の排気・減圧)作業へと送り出しました。免震重要棟のホワイトボードには、決死隊の氏名と予定被曝線量が殴り書きされ、室内には生と死が隣り合わせの緊張感が張り詰めていました。

田中 結衣

田中 結衣

デジタルマーケティングコンサルタント

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。

Share this article
Twitter Facebook Pinterest