ゴッホのひまわり全7作の真実|幻の焼失画と53億円名画の鑑賞術

話題沸騰中の ゴッホのひまわり全7作の真実|幻の焼失画と53億円名画の鑑賞術について、多角的な視点を整理して公開しています。

かつて日本に、世界に誇るべき『ひまわり』が存在していた歴史は、いまや語り継ぐべき伝説となっています。濃紺の背景に鮮やかな花が浮かび上がる通称「芦屋のひまわり(第2作)」は、大正時代に海を渡って日本へとやって来ました。

大正期、武者小路実篤や志賀直哉を中心とする文芸思潮「白樺派」の面々は、西洋近代美術の精神性に強く共鳴し、日本に本物の西洋名画を集めた美術館を設立しようと奔走していました。その熱烈な情熱に打たれたのが、関西の実業家であり篤志家でもあった山本顧彌太(やまもと こやた)氏です。山本氏は1920年、当時の金額で約2万フラン(当時の日本円で約7万円、現在の貨幣価値で数億円相当)という私財を投じ、スイスの美術商からこの『ひまわり』を購入しました。

日本に到着した名画は白樺派の展覧会で公開され、当時の若き芸術家や知識人たちに計り知れない衝撃を与えました。しかし、美術館設立構想が関東大震災や世界恐慌によって頓挫すると、絵画は兵庫県芦屋市の山本邸に大切に保管されることとなります。

運命の暗転は太平洋戦争末期の1945年8月6日、阪神大空襲(芦屋空襲)でした。美術品を疎開させる計画はあったものの、当時は戦局の悪化に伴い大型絵画の輸送手段が確保できず、山本邸の堅牢な地下室に収められていました。しかし投下された焼夷弾による猛火は地下室をも容赦なく焼き尽くし、ゴッホの魂が宿ったキャンバスは灰燼に帰したのです。現在では当時の絵葉書や精密な色彩復元プロジェクトを通じてしかその姿を拝むことができない、痛恨の文化的損失でした。

阿部 裕樹

阿部 裕樹

エンタメ専門ジャーナリスト

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。

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