平安美女の美の基準とは?下膨れやお歯黒が熱狂された歴史の深層

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平安時代を象徴する美女として後世に語り継がれるのが、六歌仙の一人である小野小町です。「絶世の美女」の代名詞として世界三大美女の一角にも数えられる彼女ですが、当時の一次史料を精査すると意外な事実に直面します。

実は、小野小町の同時代史料には、彼女の容姿が客観的にどう美しかったかを記録した文言はほとんど残されていません。小野小町の素顔が「絶世の美女」とされた主因は、彼女が遺した『古今和歌集』の歌に宿る圧倒的な情念と艶やかさにあります。

「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」

美しさが色褪せていく哀愁を歌い上げたこの一首のように、彼女の詠む歌があまりに繊細で情熱的であったため、後代の人々が「これほど雅で魅力的な歌を詠む女性が、美しくないはずがない」という幻想を抱き、能の演目や近世の絵画を通じて「小町=究極の平安美女」の図式が固定化されました。つまり小野小町は、文学的カリスマ性が生み出した美の偶像であった側面が強いのです。

一方で、自らの容姿や周囲の美女たちを冷徹なジャーナリスティックな視点で記録したのが『源氏物語』の作者・紫式部です。

『紫式部日記』における紫式部の容姿に関する記述を見ると、彼女は決して自己を派手な美女とは認識していませんでした。自らを「内省的で頑固、人前では愚かなふりをしている」と分析し、同僚の女房たちからも「気難しい」「取っつきにくい」と見られていたことを吐露しています。

その一方で、宮中で仕えた同僚の容姿については容赦のない筆致で批評しています。例えば、当時の宮廷サロンで美女として名を馳せていた大納言の君について「背が高く、髪が美しく、絵に描いたような人」と素直に称賛する一方、ライバル視されていた清少納言に対しては「したり顔で漢字を書き散らしているが、よく見れば浅薄なところが目立つ」と辛辣な言葉を残しています。紫式部のリアルな証言からは、宮中が決して画一的な人形のような女性ばかりではなく、個々の容姿や立ち振る舞いが厳しく品定めされるシビアな現場であったことが伝わってきます。

渡辺 美咲

渡辺 美咲

ガジェット&アプライアンスライター

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。

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