甲斐とはどこ?山梨県との違いや武田信玄の歴史の真相を徹底解説
甲斐とはどこ?山梨県との違いや武田信玄の歴史の真相を徹底解説とはどのようなものなのか? 専門的な分析を丁寧に紐解いて紹介します。
ネット上の掲示板や知恵袋、SNSなどを観察していると、「甲斐市が武田信玄の本拠地だったのか」「甲斐市が山梨県庁の所在地だと思っていた」という初歩的な勘違いが後を絶ちません。この混乱を引き起こしている最大の要因は、2004年に実施された「平成の大合併」による新自治体名です。
竜王町・敷島町・双葉町が合併する際、新市の名称を公募した結果、県全体の旧国名である「甲斐」を採用して「甲斐市」が誕生しました。しかし、歴史的な観点から言えば、武田氏の館があったのも、江戸時代に甲府城が築かれたのも、明治以降に県庁が設置されたのもすべて隣の「甲府市」です。旧国名という極めて広大なブランドを、後発の一自治体が単独で名乗ったことにより、県外の読者に「甲斐市こそが山梨の中心地である」という誤解を植え付ける結果となっています。
さらに、東部地域(大月市や都留市、上野原市など)の「郡内(ぐんない)地方」と、甲府盆地を中心とする「国中(くになか)地方」の間にある根深い地域差も見逃せません。同じ甲斐国内であっても、東京に隣接する郡内地方は関東文化圏の影響を強く受けており、伝統的な甲州弁や盆地特有の生活文化が色濃い国中地方とは、気候風土も住民感情も大きく異なります。外部から見れば単一の「甲斐国」に見えるエリアも、内部には複雑で多様なグラデーションが存在しているのです。