あんたがたどこさ歌詞の意味と真相|怖い都市伝説と幕末の謎を徹底解説
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なぜ肥後の童謡でありながら、熊本弁の「肥後たい」「どこや」ではなく、東日本方言の「肥後さ」「どこさ」という表現が使われているのか。この言語学的矛盾を解く鍵こそが、幕末から明治初期にかけての戊辰戦争と官軍の進駐です。
慶応4年(1868年)、鳥羽・伏見の戦いを経て新政府軍(官軍)が結成された際、東山道や東海道の平定のため、関東各地や東海地方出身の兵士が徴募されました。その後、情勢の安定化や士族反乱の抑止を目的に、熊本城(後の熊本鎮台)には東北や関東諸藩の出身者を含む部隊が相次いで駐屯することになります。
地方史編纂に関わる専門機関の資料や従軍記録を突き合わせると、城下の船場川付近で警戒警邏に当たっていた関東出身の兵士が、物珍しそうに集まってきた熊本の童児たちに声をかけた場面が浮かび上がります。「お前たちはどこの子だ?(あんたがたどこさ)」と問われ、子どもたちが「肥後さ、熊本さ、船場さ」と無邪気に兵士の方言を真似てオウム返しに答えたやり取りが、リズミカルな手まり唄として定着していったという証言が有力視されています。
もう一つの決定的な視点が、当時日和見的な態度を取り「肥後の議論倒れ」と揶揄された熊本藩政への皮肉です。佐幕派と尊皇派の間で揺れ動き、明確な態度を決めかねていた熊本藩の武士たちを、官軍兵士が「船場山に潜んで化かす狸」になぞらえ、「鉄砲で仕留めて煮て焼いて食ってやる」と風刺したという説です。政治的緊張と庶民の諧謔精神が、あの短いフレーズに凝縮されていると言えます。