山梨県の県庁所在地はなぜ甲府市?山梨市との違いと歴史の真相

山梨県の県庁所在地はなぜ甲府市?山梨市との違いと歴史の真相について徹底解説いたします。専門家の見解をチェックしてください。

最も多くの人が抱く「山梨市から甲府市へ県庁が移転したのではないか」という仮説は、歴史的事実に基づけば完全な誤解です。山梨県庁が現在の甲府の地に定められて以降、県庁所在地が山梨市へ移されたことも、逆に山梨市から奪い取ったという経緯も存在しません。

時計の針を明治維新の激動期へ巻き戻してみましょう。1868年(明治元年)、旧幕府直轄地であった甲斐国(かいのくに)には甲府裁判所が置かれ、府中藩を経て1869年に「甲府県」が設置されました。その後、1871年(明治4年)7月の廃藩置県によって全国に府や県が乱立するなか、同年11月の府県再編のタイミングで、甲府県は「山梨県」へと改称されたのです。

この改称劇の背景には、当時の明治政府が敷いた明確な命名ルールがありました。旧幕府側についた地域への懲罰的措置という俗説も囁かれますが、公文書や明治政府の通達を検証すると、実際には「県庁が置かれた場所の郡名を採用する」という事務的な方針が主たる要因でした。当時、甲府城下町が属していた地域は「山梨郡」と「八代郡」の境界付近に位置しており、県庁の所在地が山梨郡に属していたことから山梨県と命名されたのです。

一方、現在存在する「山梨市」が誕生したのは、それから80年以上も後の1954年(昭和29年)のことです。昭和の大合併において、東山梨郡日下部町を中心に1町6村が合流する際、由緒ある郡名から名前を取って命名されました。つまり、時系列としては「山梨郡という地名」→「明治政府による山梨県の命名」→「後発自治体としての山梨市の誕生」という順序を辿っており、県庁誘致を巡る対立の歴史があったわけではありません。

石川 優花

石川 優花

インテリア&ライフスタイルコーディネーター

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。

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