「御用改めである」池田屋事件の真相と史実!名言誕生の背景を解明
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元治元年6月5日の深夜、新選組局長・近藤勇が率いる部隊は、京都・三条小橋の旅館「池田屋」を取り囲みました。長州藩や土佐藩などの過激派尊王攘夷派志士たちが密談を行っている現場への強襲です。後世のドラマでは、踏み込みざまに近藤が「会津肥後守(松平容保)御預かり新選組、御用改めである!」と高らかに名乗りを上げ、一気に乱戦へ突入するシーンがお約束となっています。
しかし、事件直後に当事者たちが書き残した記録を検証すると、まったく異なる光景が浮かび上がってきます。近藤勇自身が故郷の養父や後援者へ事件の詳細を報告した自筆書簡(『池田屋事件に関する近藤勇書翰』など)には、突入時のセリフとして「御用改めである」と怒号を飛ばしたという記述は見当たりません。書簡にあるのは、怪しい動きをする浪士たちをいかに制圧し、死闘を繰り広げたかという生々しい戦闘記録です。
また、突入時に近藤と刃を交えて屋内に斬り込んだ主要メンバーのひとり、永倉新八が後年に残した回顧録『浪士文久報国記事』や『新選組顛末記』にも注目すべき記述があります。それらによると、池田屋の表口を固めた後、近藤が宿の主人に対して発したのは次のような言葉でした。
「会津候御預新選組である。主人はおるか、御用によって探索に入る」
つまり、「御用改めである!」と短く一喝したのではなく、自分たちが何者であり、公儀の公務(御用)によって捜索を行う旨を宿の主人へ宣告したというのが実情です。奇襲攻撃とはいえ、当時の治安維持活動としての最低限の法的手続きを踏み、無用な民間被害を避けつつ犯人をあぶり出そうとする現実的な警察官の姿がそこにあります。