日本の年号一覧総まとめ!大化から令和全248の順番と改元の真相
日本の年号一覧総まとめ!大化から令和全248の順番と改元の真相にまつわる役立つ知識を分かりやすく発信ます。
日本の元号制度は、中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足らが蘇我氏を打倒した乙巳の変直後、西暦645年に制定された「大化」に端を発します。中国・前漢の武帝が創始した元号制度を取り入れたもので、東アジアにおいて独自の国家主権を内外に誇示する政治的宣言でもありました。
古代の元号史を紐解くと、最初から途切れなく続いていたわけではありません。白雉(はくち)ののち、斉明天皇・天智天皇・天武天皇の治世には元号が用いられない空白期間が存在しました。制度として完全に定着したのは、西暦701年の「大宝」(大宝律令の制定)以降のことです。大宝律令の「儀制令」に公文書への元号記載が義務付けられ、これ以降現在に至るまで約1300年間、一度も途絶えることなく元号が継承されています。
歴史の激動期には、元号そのものが権力の正統性を争う火種となりました。その最大の象徴が、14世紀の南北朝時代における元号の並立です。足利尊氏が擁立した北朝(京都)と、吉野に逃れた後醍醐天皇の南朝がそれぞれ独自に元号を制定したため、国内に2つの和暦が約60年間にわたり併存する異常事態が発生しました。現在、宮内庁の皇統譜や公式の歴史編纂においては、三種の神器を保持していた南朝側の元号が正統として歴代に数えられていますが、北朝の元号(光厳天皇の正慶から後小松天皇の明徳まで)も日本の中世史を読み解く上で欠かせない史料として記録されています。