富山城天守閣に隠された歴史の真相!佐々成政の足跡と見どころ徹底解剖

富山城天守閣に隠された歴史の真相!佐々成政の足跡と見どころ徹底解剖の重要ポイントを解説します。最新トレンドが満載です。

多くの観光客が富山城址公園を訪れて抱く最大の疑問、それは「この天守閣はいつ建てられたのか」という点です。結論から言えば、現在そびえる三重四階の白亜の天守閣は、昭和29年(1954年)に開催された「富山産業大博覧会」の記念事業として建設された鉄筋コンクリート造の模擬天守です。

富山市郷土博物館の学芸員資料や古図面等の公式調査記録によると、江戸時代の富山城には独立した天守閣は存在していませんでした。本丸には二重櫓や御三階櫓、壮麗な本丸御殿が配置されていたものの、層塔型の天守は築かれていなかったのです。昭和の復興期において、空襲で焦土と化した富山市のシンボルとして、犬山城や彦根城など現存天守の意匠を参考に設計・建築されたのが現在の姿です。

では、往時の富山城はどのような姿だったのでしょうか。その起源は天文12年(1543年)頃、越中守護代・神保長職が安住郷(あんずみごう)に築城した「安住城」に遡ります。かつての神通川は富山城のすぐ北側を蛇行して流れており、城はその激流と湿地帯を天然の要害として巧みに取り込んでいました。水上に白壁が浮かんでいるように見えたことから、別名「安住城」「浮城(うきしろ)」と称され、攻め手に恐れられたと伝えられています。

山田 真由

山田 真由

自動車・モビリティライター

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