後藤象二郎に似てる有名人は誰?青木崇高や現役政治家との衝撃比較
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そもそも後藤象二郎とはどのような人物だったのか。その波乱万丈な生涯と、盟友・坂本龍馬とのドラマチックな関係性を振り返ることで、彼の顔立ちに刻まれた凄みの理由が浮き彫りになります。
天保9年(1838年)、土佐藩の上士の家に生まれた後藤象二郎は、叔父である吉田東洋の薫陶を受けて育ちました。東洋が武市半平太率いる土佐勤王党に暗殺されると、後藤は執政として勤王党を徹底的に弾圧。この時期の後藤は、下士たちから見ればまさに「冷酷非情な敵役」そのものでした。
しかし慶応3年(1867年)、長崎の料亭「清風亭」で脱藩下士である坂本龍馬と運命的な会談を行います。過去の遺恨を乗り越えて意気投合した二人は、武力衝突を避けて徳川幕府から朝廷へと政権を返上させる「大政奉還」の実現に向けて共闘。龍馬が提示した『船中八策』をもとに、後藤は土佐藩主・山内豊信(容堂)を説得し、歴史を大きく動かす建白書を提出させました。
剛腕と柔軟な政治的リアリズムを併せ持ち、明治維新後は板垣退助とともに自由民権運動を主導しつつ、逓信大臣や農商務大臣などの要職を歴任。豪快な金遣いや度重なる政変劇など、毀誉褒貶相半ばするスケールの大きな生き様こそが、あの精悍な顔立ちを形作った原動力でした。