なぜナポレオン3世は敗北したか?普仏戦争の真相とビスマルク謀略
なぜナポレオン3世は敗北したか?普仏戦争の真相とビスマルク謀略の基礎知識と応用に迫る! わかりやすい言葉で紐解きます。
普仏戦争の原因を一言で表すなら、「ドイツ統一を完遂したいプロイセン」と「大陸の覇権維持と国内不満の逸らしを狙うフランス」の利害衝突です。プロイセン首相オットー・フォン・ビスマルクは、南ドイツ諸邦を取り込んで強大な統一国家を樹立するためには、共通の外敵であるフランスとの戦争が不可欠であると計算していました。一方のフランス皇帝ナポレオン3世も、自由主義派の台頭やメキシコ出兵の失敗によって低下した求心力を、対外的な軍事的勝利で回復させたいという切迫した事情を抱えていました。
直接的な引き金となったのは、1868年の革命によって空位となったスペイン王位継承問題です。プロイセン王家(ホーエンツォレルン家)のレオポルト公が候補に浮上したことで、東西を挟撃される形となるフランスは猛反発しました。フランスの外交的圧力によりレオポルト公は即座に立候補を辞退し、事態は一旦収束に向かいます。しかし、外交的勝利を決定づけたいフランスの駐プロイセン大使ベネデッティは、保養地バート・エムスに滞在中のプロイセン国王ヴィルヘルム1世に対し、「将来にわたっても王位継承を支持しないという永久放棄の誓約」を執拗に要求しました。
これに対し、ヴィルヘルム1世は丁重ながらも明確に拒絶し、そのやり取りをベルリンのビスマルクへ急報します。この電報を受け取ったビスマルクは、外交交渉の妥協に落胆していたモルトケ参謀総長らの前で、電報の文面を短く編集し直すという大胆な行動に出ました。これが歴史に名高いエムス電報事件です。ビスマルクは国王と大使の礼儀正しい対話を削ぎ落とし、「フランス大使が無礼な要求を突きつけ、国王はこれ以上の引見を拒絶して冷淡にあしらった」かのような挑発的なトーンに仕立て上げ、あえて各国の通信社や新聞各紙へリークしたのです。
この改ざん電報がパリに届くと、名誉を傷つけられたフランス世論は一気に沸騰。「ベルリンへ進軍せよ!」と叫ぶ民衆の声に押され、内閣も議会も冷静さを失いました。ビスマルクの謀略に完璧に踊らされたフランスは、1870年7月19日、自らプロイセンに対して宣戦布告を行いました。これによってプロイセンは「侵略者フランスに立ち向かう防衛者」という大義名分を獲得し、バイエルンをはじめとする南ドイツ諸邦の世論を味方につけて一気呵成の軍事同盟を成立させたのです。