『早春賦』作詞者・吉丸一昌の生涯|43歳で急逝した唱歌の巨匠
『早春賦』作詞者・吉丸一昌の生涯|43歳で急逝した唱歌の巨匠にまつわる最新トピックを分かりやすく発信ます。
吉丸一昌の代表作として不動の地位を誇るのが、1912年(大正元年)刊行の『新作唱歌』第3集に収録された『早春賦』です。この曲は、東京音楽学校出身の新進気鋭の作曲家・中田章 作曲による流麗なメロディに、吉丸が極上の詞を乗せたことで誕生しました。
この名曲の舞台として広く知られているのが、信州・長野県の安曇野です。早春賦 安曇野 由来の背景には、吉丸が音楽教育の視察や静養のためにしばしば訪れていた長野県松本・穂高地方の厳しい冬から春への情景があります。北アルプスに残る分厚い雪嶺、雪解け水が流れる犀川や穂高川の冷涼な風、しかし日差しの中にはかすかに芽吹く春の気配――。「春は名のみの 風の寒さや / 谷の鶯 歌は思えど / 時にあらずと 声も立てず」という歌詞には、厳しい寒波に耐えながら春を待ちわびる信州の人々の情感と、焦燥感にも似た自然の息吹が見事な七五調の変形(七六調・七七調)で凝縮されています。
単なる風景描写にとどまらず、日本の季節の移ろいに対する繊細な美意識が中田章の6/8拍子の軽やかなリズムと融合し、100年以上を経た現在も色あせない名作として歌い継がれています。