竹島問題でアメリカの見解は本当に中立?日本寄りと言われる真相を徹底解説
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竹島の領有権をめぐる国際法上の最大の根拠となるのが、1951年9月に署名されたサンフランシスコ平和条約です。この条約の起草において、中心的な主導権を握っていたのがアメリカ合衆国でした。
条約第2条(a)には、「日本は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」と規定されています。起草の初期段階では、韓国側の要請を受けて放棄対象地域に竹島が含まれていた草案も存在しました。しかし、駐日政治顧問であったウィリアム・シーボルド氏をはじめとする米外交官の精査によって「竹島は歴史的にも地理的にも日本の不可分の一部である」との報告がなされ、最終草案から竹島の名前は意図的に除外されました。
この条約文の意図を公的に証明する決定打となったのが、1951年8月10日付で発信されたラスク書簡(Rusk Documents)です。韓国の梁裕燦(ヤン・ユチャン)駐米大使から「日本が放棄すべき領土に独島(竹島)を明記してほしい」との要請を受けたディーン・ラスク極東担当国務次官補は、正式な外交公電を通じて次のように明確に回答しました。
「独島、あるいは竹島ないしリアンクール岩礁として知られる島について、われわれの情報によれば、この通常無人である岩礁は、朝鮮の一部として取り扱われたことは一度もなく、1905年頃から日本の島根県隠岐島庁の管轄下にある。この島は、かつて朝鮮によって領有権が主張されたとは見られない」
ラスク書簡の存在は、条約起草国であるアメリカが「竹島は日本が放棄すべき朝鮮の領土には含まれず、日本の領有にとどまる」と認識していたことを示す反駁不能の一次資料です。韓国側は「非公開の二国間書簡であり国際条約そのものではない」と主張しますが、条約の解釈を巡る当時の当事者の共通認識(トラヴォー・プレパラトワール/起草過程の記録)として、国際法上極めて重い価値を持っています。