岸壁の母の真実|モデル端野いせの壮絶生涯と息子の生存劇を徹底検証

岸壁の母の真実|モデル端野いせの壮絶生涯と息子の生存劇を徹底検証にまつわる役立つ知識を詳しく紐解きます。

名曲『岸壁の母』の主人公となった実在の女性が、端野いせ(はしの いせ)です。彼女は函館で幼少期を過ごしたのち、東京・大森で一人息子の端野新二(しんじ)を女手一つで育て上げました。激化する第二次世界大戦の最中、日本大学工学部の学生だった新二は学徒動員によって満州(現・中国東北部)へ出征。終戦時の混乱の中でソ連軍の捕虜となり、過酷を極めたシベリア抑留へと巻き込まれていきました。

1950年(昭和25年)、政府から新二の「戦時死亡宣告」が届きます。公的には中国・牡丹江付近で戦死したと処理されたものの、母・いせは「新二は必ず生きている」という母の直感を捨てませんでした。同年にソ連からの復員船が入港する京都府の舞鶴港へ初めて足を運んで以来、東京都内から夜行列車を乗り継ぎ、舞鶴港への引き揚げ船が入港するたびに埠頭へ立ち続けました。その回数は10数回におよび、粗末な着物に身を包んで遠くの船影を見つめる姿が当時の新聞記者によって報じられ、「岸壁の母」として全国に知れ渡ることになります。

中島 亮太

中島 亮太

写真家・フォトエディター

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。

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