デヴィ夫人若い頃の圧倒的美貌!東洋の真珠と称された波乱の真相
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生活費と弟の進学費を工面するため、彼女はやがて当時の一流サロンであった赤坂の高級クラブ「コパカバーナ」で働くことになります。当時「銀座コパカバーナ」としばしば混同されるこの店は、海外のVIP、外交官、政財界の重鎮が集う国際的な社交場であり、一般的な水商売の枠を超えた厳格な格式と語学力が求められる場所でした。
そして1959(昭和34)年6月、運命の歯車が大きく動き出します。国賓として来日していたインドネシアの建国の父、スカルノ大統領との馴れ初めです。
当時、帝国ホテルで開かれた歓迎レセプション、あるいはコパカバーナを訪れたスカルノの目に留まったのが、当時わずか19歳だった根本七保子でした。多くの女性が居並ぶなか、東洋の神秘的な気品と堂々たる知性を漂わせる彼女に、大統領は一目惚れしたと伝えられています。
同年9月、スカルノ大統領からの熱烈な求愛を受け、七保子は単身ジャカルタへと旅立ちます。後年の特別インタビューで夫人は「国家元首からの手紙には、情熱的な詩と『私の魂、私の命』という言葉が綴られていました。一人の女性としてこれほど愛されたら、命を懸けて海を渡る以外の選択肢はありませんでした」と述懐しています。
1962(昭和37)年、22歳で正式に結婚。第3夫人としてイスラム教に改宗し、授けられた名前こそが「ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ(Ratna Sari Dewi Sukarno=宝石の聖なる女神)」でした。