山県有朋とは何者か?功績と嫌われた理由・伊藤博文との確執を追う

山県有朋とは何者か?功績と嫌われた理由・伊藤博文との確執を追うの重要なポイントについて、最新情報を取りまとめてご紹介します。

山県有朋が「日本陸軍の父」と呼ばれる最大の理由は、1873年(明治6年)に発布された徴兵令の制定を強力に推し進めたことにあります。当時、士族階級からは「武士の特権を奪う暴挙」、農民からは「血税(生命を奪う税)の取立て」と激しい抵抗を受けましたが、山県は近代国家として主権を守るためには国民皆兵による常備軍の創設が不可欠であると見抜いていました。

さらに山県は、軍隊が政治争いに巻き込まれることを極度に恐れ、1882年に明治天皇の名で出された「軍人勅諭」の起草を主導します。そこで説かれた「軍人は政治に関与すべからず」という規律は、軍隊の純粋性を保つ意図だったものの、皮肉にも統帥権の独立と相まって後の軍部暴走の法理的抜け穴を生むことになりました。

見落とされがちですが、軍備以上に近代日本を決定づけた山県の功績が地方自治制度の確立です。1888年から1890年にかけて導入された市制・町村制、府県制・郡制は、中央集権国家の末端組織として機能するように緻密に計算されたシステムでした。内務省を頂点とする強固な官僚機構と全国規模の警察網を張り巡らせることで、内乱の再発を防ぎ、日清・日露の対外戦争に耐えうる行政基盤を整えた実務能力は、並ぶ者のない卓越した水準にありました。

斉藤 蓮

斉藤 蓮

デジタルマーケティングコンサルタント

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。

Share this article
Twitter Facebook Pinterest