なぜ静岡浅間神社は最強パワスポなのか?家康が愛した七社巡りとご利益の真相

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静岡市街地を北に望む賤機山の麓に鎮座する静岡浅間神社は、単一の神社ではなく、神部神社(かんべじんじゃ)、浅間神社(あさまじんじゃ)、大歳御祖神社(おおとしみおやじんじゃ)の三社を主軸とし、摂末社四社をあわせた七社の総称です。その起源は神話時代にまで遡り、神部神社は約2100年前の第10代崇神天皇の御代、大歳御祖神社は約1700年前の第15代応神天皇の御代、浅間神社は延喜元年(901年)に富士山本宮より分霊を勧請して創建されたと伝えられています。

この地が歴史の表舞台で特別な重みを持つ最大の要因は、徳川家康ゆかりの神社としての深い絆にあります。天文24年(1555年)3月、今川家の人質として駿府で育った幼き松平竹千代(のちの徳川家康)は、神部神社本殿の前で元服の儀を執り行いました。自著や後世の編纂記録(『徳川実紀』など)にも記されている通り、家康公は自らの武運長久と天下泰平を祈願し続け、関ヶ原の戦いや大坂の陣の折にも社殿の造営や神領の寄進を惜しみませんでした。

江戸時代後期、文化元年(1804年)から幕府直営の国家事業として実に60余年の歳月と総工費約10万両を投じて再建された社殿群は、総漆塗り極彩色の絢爛豪華な建築美を誇り、「東海の日光」と称賛されるに至りました。現在、社殿26棟すべてが国の重要文化財に指定されています。

風水地理学の観点からも、賤機山は富士山から発する龍脈(大地のエネルギーの通り道)が駿河平野へと抜ける要衝に位置しており、静岡浅間神社のパワースポット効果は「土地の龍脈の気」と「徳川260年の泰平を築いた開運・勝運の気」が融合した類まれなものとして、全国の参拝者を引き寄せています。

山口 彩花

山口 彩花

写真家・フォトエディター

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。

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