新島襄は何をした人か?命がけの密航から同志社設立と八重の真実

新島襄は何をした人か?命がけの密航から同志社設立と八重の真実とはどんな影響があるのか? 詳しい意味を簡潔に解説します。

同志社英学校を総合大学へと発展させるべく、新島は全国を巡って寄付金集めに奔走しました。当時の政財界の重鎮であった伊藤博文、井上馨、渋沢栄一、岩崎弥之助らと直談判を重ね、多額の寄付を集めることに成功しますが、その激務は確実に新島の肉体を蝕んでいきました。

もともと心臓に持病を抱えていた新島は、明治23年(1890年)1月、療養先であった神奈川県大磯の旅館「百足屋(むかでや)」で病状が急変。急性腹膜炎を併発し、1月23日、愛妻・八重や弟子たちに見守られながら46歳という若さで息を引き取りました。

死の直前、口述筆記によって残された「臨終の遺言(10箇条)」には、同志社の将来と教職員・生徒への熱い思いが刻まれていました。その中でも現代に語り継がれているのが、同志社大学の今出川キャンパスにある良心碑に刻まれた一節です。

「良心之全身ニ充満シタル人物ノ出現来ラン事ヲ」
(良心が全身に満ちあふれた人物が、次々と世に現れることを私は切に願っている)

権力や富に阿ることなく、自らの良心に従って正義を貫く人間を育てたい――。この遺志は、100名以上の門弟たちが大磯から京都まで遺体を運び、若王子(にゃくおうじ)山頂に土葬された今も、同志社の根幹を支え続けています。

池田 達也

池田 達也

マネー&キャリアエディター

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。

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