田端義夫『かえり船』が戦後に起こした奇跡|引き揚げの涙と誕生秘話
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終戦直後の1946年(昭和21年)、テイチクレコードからリリースされた『かえり船』は、爆発的な勢いで全国へ浸透していきました。当時、日本は満州(現中国東北部)や朝鮮半島、南洋諸島、樺太などからの在外邦人および復員軍人およそ600万人以上の帰還事業という、未曾有の事態に直面していました。
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舞鶴港(京都府)や博多港(福岡県)、佐世保港(長崎県)、浦賀港(神奈川県)といった引き揚げ港には、着の身着のままで飢えと寒さを耐え忍んだ人々を乗せた船が次々と入港しました。港の岸壁には、生きて帰るかどうかも分からない肉親の名を記した紙を掲げ、何日も立ち尽くす人々がひしめき合っていました。
そうした過酷な情景のなか、港頭のスピーカーや街頭のラジオから流れてきたのが「波の背の背に揺られて揺れて 月の潮路のかえり船…」という田端義夫の切々とした歌声でした。飢餓や極寒、肉親の死を乗り越えて祖国の土を踏んだ人々、そして家族を失った人々にとって、その哀愁に満ちた旋律は自らの悲痛な叫びそのものであり、港の至る所で人々が肩を抱き合って慟哭したと当時の新聞や手記は伝えています。