二・二六事件をわかりやすく解説|青年将校の暴走と昭和天皇激怒の真相

二・二六事件をわかりやすく解説|青年将校の暴走と昭和天皇激怒の真相にまつわる興味深い視点を分かりやすく発信ます。

国家の屋台骨を粉砕しかけた二・二六事件がなぜ起きたのか、その理由の根底には、当時の日本社会を覆っていた絶望的な経済格差と、理不尽な格差に喘ぐ庶民の悲惨な実態がありました。

1929年に発生した世界恐慌の余波は日本にも直撃し、1930年以降の「昭和恐慌」によって日本経済は破綻寸前に追い込まれました。とりわけ東北地方を中心とする農村部は壊滅的な大凶作に見舞われ、飢餓に苦しむ農民が娘を身売りに出さざるを得ず、児童の欠食が日常化するほどの惨状を極めていたのです。

一方で、東京の政財界では三井・三菱などの巨大財閥と既得権益を結んだ政党政治家が私利私欲に走り、汚職事件や軍縮交渉をめぐる妥協を繰り返していました。現場で兵士たちを預かる連隊の青年将校の多くは地方農村の出身であり、自らの部下が家族の生活苦から涙を流す現場を日々目の当たりにしていたのです。

「農村の娘たちが売られていく凄惨な現実を放置し、東京の特権階級は私腹を肥やしている。この腐った元老や財閥、軍閥という『君側の奸(くんそくのかん:天皇の側近に巣食う悪人)』を取り除き、国家を本来の姿に戻さなければならない」――この切実で純粋な義憤こそが、青年将校たちを武装蜂起へ突き動かした昭和維新の目的と背景でした。

彼らの思想的バックボーンとなったのが、思想家・北一輝が著した『日本改造法案大綱』です。北は私有財産の制限や華族制度の廃止、天皇を中心とする強力な国家改造を説いており、青年将校たちはこの急進的な国家社会主義思想に熱狂しました。北一輝自身はクーデター当日に直接指揮を執ったわけではありませんが、反乱将校のリーダー格である安藤輝三や磯部浅一らと緊密に連絡を取り合っており、北一輝と二・二六事件の関係は精神的指導者として深く結びついていたのです。

山口 彩花

山口 彩花

写真家・フォトエディター

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。

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