聖武天皇は何をした人?大仏建立と激動の生涯を徹底解説
聖武天皇は何をした人?大仏建立と激動の生涯を徹底解説の基礎知識と応用に迫る! わかりやすい言葉でまとめました。
藤原広嗣の乱が起きた740年以降、聖武天皇は平城京を突如離れ、恭仁京(京都府木津川市)、難波京(大阪市)、紫香楽宮(滋賀県甲賀市)へと次々に都を移す「彷徨(ほうこう)の5年間」を過ごします。最終的に745年に平城京へ帰還するまでの度重なる遷都の理由は、反乱や疫病の怨霊から逃れるための厄払いであると同時に、平城京内の旧勢力から脱却し、新たな国家体制を構築しようとする政治的苦闘の表れでした。
この激動期において、聖武天皇の政策を強力に支えたのが光明皇后(こうみょうこうごう)と僧・行基(ぎょうき)の2人です。
藤原不比等の娘である光明皇后は、皇族以外から初めて立后された人物であり、深い仏教信仰を持っていました。貧民や孤児を救う「悲田院(ひでんいん)」や、病人に薬を施す「施薬院(せやくいん)」を設立するなど、日本初の本格的な社会福祉事業を展開し、聖武天皇の治世を福祉と医療の側面から支え続けました。
一方、民衆の間で絶大な支持を集めていたのが行基です。当初、朝廷の許可なく布教活動や土木事業を行っていた行基は弾圧の対象となっていましたが、聖武天皇はその卓越した民衆動員力と治水・架橋技術を高く評価し、745年に日本で最初の大僧正(最高位の僧侶)に抜擢しました。行基の呼びかけによって、貴族から庶民まで推計約260万人(当時の人口の半分に相当する延べ人数)が大仏建立の資材運搬や寄付活動に参加し、国家的一大事業が成就したのです。