『最後の晩餐』作者ダ・ヴィンチの真実|裏切りの謎と修復の全貌を解剖
今注目を集めている 『最後の晩餐』作者ダ・ヴィンチの真実|裏切りの謎と修復の全貌を解剖について、多角的な視点をご紹介しています。
『最後の晩餐』を語る上で避けて通れないのが、制作直後から始まった絵の具の剥離と、500年以上にわたる過酷な劣化の歴史です。なぜこれほどの名作が、描かれてからわずか20年足らずで「薄暗い影の塊」と化してしまったのでしょうか。
最大の原因は、レオナルドが選んだ最後の晩餐 技法 テンペラと油彩の混合処方にありました。当時の壁画制作における絶対的な主流は「真正フレスコ(ブオン・フレスコ)」技法でした。フレスコは水で溶いた顔料を生乾きの漆喰に染み込ませ、壁そのものと一体化して硬化させるため、数百年を経ても退色しにくいという強靭な耐久性を誇ります。
しかしフレスコには、「漆喰が乾くまでの数時間以内に描き終えなければならず、描き直しや微妙な重ね塗りが一切できない」という致命的な制約がありました。推敲を重ね、光と影の繊細な階調(キアロスクーロ)を追い求めたレオナルドにとって、即興性が求められるフレスコは到底受け入れがたいものだったのです。そこで彼は、完全に乾燥した壁の上に下地を塗り、板絵のようにじっくり筆を重ねられる油彩とテンペラの実験的技法を採用しました。
この選択が裏目に出ます。食堂のすぐ隣には厨房があり、湯気と湿気が絶えず壁を侵食しました。さらに北イタリア特有の冷湿な気候も手伝い、下地と絵の具の密着強度が急速に低下。画家の生前から顔料の粉化と剥落が始まってしまったのです。
受難はそれだけにとどまりませんでした。1652年には修道士たちが厨房への近道を作るために壁画下部を打ち破り、キリストの足元が永久に失われました。ナポレオン軍の侵攻時には馬小屋や兵舎として荒らされ、第二次世界大戦中の1943年には連合国軍の爆撃によって食堂の天井と側壁が吹き飛びました。奇跡的に土嚢で防護されていた『最後の晩餐』の壁面だけが倒壊を免れたのです。
度重なる粗雑な塗り直しによって「誰の絵かわからない」状態に陥っていた名画を救ったのが、1977年から1999年にかけて実施された世紀の大修復でした。主任修復家のピニン・ブランビッラ・バルチロン女史率いるチームは、顕微鏡を覗きながら外科用メスと特殊溶剤を用い、後世の画家たちが勝手に塗りたくった何層もの油彩や変色したワニスをミリ単位で剥ぎ取っていきました。
22年におよぶ執念の作業によって最後の晩餐 修復 真相が白日の下に晒されました。厚い汚れの奥から現れたのは、淡く透明感のあるキリストの青と赤の衣、卓上の白いダマスク織のテーブルクロスに織り込まれた幾何学模様、そしてガラスの器に反射する光の粒子でした。レオナルドが本来意図した瑞々しい空間の奥行きが、5世紀の時を経て見事に甦ったのです。