京都・世界遺産西本願寺の歴史と見どころ|東西分立の真相と全貌

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京都を訪れる多くの旅行者が抱く最大の疑問が、「西本願寺」と「東本願寺」の成り立ちと違いです。両寺はいずれも親鸞聖人を開祖とする浄土真宗の巨刹ですが、現在の姿に至る背景には、戦国乱世から江戸幕府成立期にかけての激動の政治力学が横たわっています。

発端は、戦国時代に織田信長と本願寺第11代門主・顕如(けんにょ)との間で10年余りにわたり繰り広げられた「石山合戦」に遡ります。1580年、信長との和議受け入れを巡り、顕如の長男・教如(きょうにょ)は徹底抗戦を主張し、和睦を受け入れて退去した父・顕如と激しく対立しました。この教団内部の亀裂が、のちの東西分立の火種となります。

顕如の没後、一度は教如が本願寺を継承したものの、豊臣秀吉の命により弟の准如(じゅんにょ)へ門主の座が移譲され、現在の西本願寺の地(堀川六条)が寄進されました。しかし関ヶ原の戦いを経て天下人となった徳川家康は、強大な門徒数を誇る本願寺勢力の分断を図るため、1602年に教如へ烏丸六条の寺地を寄進。これにより、准如を第12代とする「西本願寺(浄土真宗本願寺派)」と、教如を第12代とする「東本願寺(真宗大谷派)」という二大勢力への分立が決定づけられました。

比較項目西本願寺(龍谷山本願寺)東本願寺(真宗本廟)編集部の見解・解説正式宗派・本山名浄土真宗本願寺派 / 龍谷山本願寺真宗大谷派 / 真宗本廟通称「お西さん」「お東さん」として親しまれる世界遺産登録1994年登録(古都京都の文化財)未登録(焼失と再建を繰り返したため)西本願寺は桃山建築の原本を良好に保持伽藍配置(左右)右:阿弥陀堂 / 左:御影堂右:御影堂 / 左:阿弥陀堂本尊と宗祖を祀るお堂の並びが左右逆代表的な国宝建築唐門、飛雲閣、御影堂、阿弥陀堂、書院御影堂・阿弥陀堂(重文・木造世界最大級)国宝指定建造物の多さは西本願寺が突出境内拝観料無料無料両寺ともに信徒・一般を広く受け入れる方針
田中 結衣

田中 結衣

デジタルマーケティングコンサルタント

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。

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