渋谷で5時」はなぜ生まれた?鈴木雅之と菊池桃子の誕生秘話と衝撃の現在
渋谷で5時」はなぜ生まれた?鈴木雅之と菊池桃子の誕生秘話と衝撃の現在の真相や最新動向に迫る! わかりやすい言葉でまとめました。
長年愛される名曲であるからこそ、インターネット上や噂話のレベルではいくつかの事実誤認が定着してしまっているケースも見受けられます。ここでは取材データをもとに、代表的な3つの誤解を正していきます。
誤解1:「バブル絶頂期に作られた曲」という思い込み
「渋谷で5時」と聞くと、ディスコブームや好景気に沸くバブル時代のアンセムだと記憶している人が少なくありません。しかし、実際の楽曲リリース年表を整理すると、初出となったアルバム『Perfume』の発売は1993年、シングルカットされて大ヒットを記録したのは1996年です。
1993〜1996年といえば、すでにバブル経済は崩壊しており、世相としては「就職氷河期」や「阪神・淡路大震災」「地下鉄サリン事件」などを経験した激動のポストバブル期でした。派手なディスコカルチャーではなく、身近でささやかな日常の幸せを噛みしめるような歌詞が支持された背景には、ポストバブル期の地に足の着いた社会心理が深く関係しています。
誤解2:「鈴木雅之と菊池桃子の不仲説や音信不通説」の真相
大ヒット後に2人が揃ってテレビ番組に出演する機会が一時的に減少したことから、ネット上の一部掲示板などでは「実は不仲だったのではないか」「共演NGだったのではないか」といった根拠のない憶測が飛び交った時期がありました。
しかし、これは完全に事実に反します。菊池桃子の結婚や子育て、大学院進学、客員教授への就任といった多忙なライフステージの変化、さらに鈴木雅之の精力的なソロツアー活動というスケジュールの兼ね合いに過ぎません。後述するように、2人は音楽特番やライブの場で定期的に再会を果たしており、その絆は現在に至るまで極めて良好に保たれています。
誤解3:「作詞も鈴木雅之本人が手掛けた」という混同
鈴木雅之の代名詞的な楽曲であるため、作詞・作曲ともに本人の手によるものと誤認されがちですが、前述の通り作曲が鈴木雅之、作詞は槇原敬之です。ソウルフルなファンクネスを持つ鈴木のメロディに、緻密な日本語のストーリーテリングを得意とする槇原の詞が合体したからこそ、カラオケで万人が歌いやすいJ-POPの傑作へと昇華されました。