力道山を刺した男・村田勝志の正体|犯行動機と壮絶な最期の真相

力道山を刺した男・村田勝志の正体|犯行動機と壮絶な最期の真相を詳しくリサーチ! 知っておきたい トピックの裏側を凝縮して配信します。

力道山という国民的英雄を死に至らしめた村田勝志に対する司法の審判は、世論の凄まじい怒りと過熱する報道の中で進められました。検察側は当初から厳しい追及を行いましたが、裁判所が下した結論は「殺人罪」ではなく「傷害致死罪」の適用でした。

1964年(昭和39年)10月、東京地方裁判所は村田勝志に対し、懲役7年(求刑懲役8年)の実刑判決を言い渡しました。判決理由において裁判所は、力道山側から先に理不尽な暴行が加えられ、村田が身の危険を感じて突発的に及んだ行為であることを認定。計画的な犯行ではなく過剰防衛に近い状況であったことが情状として考慮された形となりました。

服役を終えた村田勝志の「その後」の人生は、光と影が交錯する極めて壮絶なものでした。出所後、村田は再び裏社会へと戻り、古巣である大日本興業の会長や、住吉一家小林会幹部といった要職を歴任。ヤクザ社会の中枢で確固たる地位を築き上げていきました。

しかし、彼の心から「力道山を刺した」という十字架が消えることは生涯ありませんでした。関係者の証言によると、村田は出所後、力道山の命日である毎年12月15日になると、東京都大田区の池上本門寺にある力道山の墓所へと足を運び続けました。人目を避けるように早朝や夕方に訪れては墓前に深々と頭を下げ、線香を手向けて静かに手を合わせる村田の姿が長年にわたり目撃されています。

さらに晩年には、力道山の実子である百田義浩氏や百田光雄氏、未亡人であった田中敬子さんら遺族と直接対面し、土下座をして涙ながらに直接の謝罪を行いました。百田光雄氏らは後にテレビ番組やインタビューで「村田さんは毎年欠かさず墓参りを続け、私たちにも誠心誠意の謝罪をしてくれた。すでに恩讐は越えている」と語り、その真摯な贖罪を受け入れたことを明かしています。

長年裏社会に身を置いた村田勝志でしたが、晩年は重い病魔との闘いとなりました。2013年(平成25年)4月9日、村田は東京都内の病院で静かに息を引き取りました。享年73。死因は胆管がん(胆嚢疾患関連)と報じられています。昭和の巨星を刺し、戦後社会の巨大な暗部を背負い続けた男の生涯は、事件から50年の節目を迎える直前に幕を閉じました。

石川 優花

石川 優花

インテリア&ライフスタイルコーディネーター

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。

Share this article
Twitter Facebook Pinterest