「人間至る所青山あり」の真意とは?「じんかん」の読みと由来を徹底解説
「人間至る所青山あり」の真意とは?「じんかん」の読みと由来を徹底解説とは一体何なのか? 主要なファクトを丁寧に紐解いて紹介します。
この名言について非常によく見られる誤解が、「西郷隆盛が詠んだ詩である」という説です。実際には、周防国(現在の山口県大島郡周防大島町)妙円寺の僧侶であった月性(げっしょう)が詠んだ漢詩の一節が正真正銘のルーツです。
月性は幕末期、吉田松陰や久坂玄瑞ら長州の志士たちとも深く交わり、「海防論」をいち早く唱えた情熱的な勤皇僧でした。嘉永元年(1848年)、27歳の月性が遊学のために故郷を旅立つ際、実家の母へ残した決意の詩が『将東遊題壁(まさに東遊せんとして壁に題す)』(のちに児島湾で推敲されたとして『題児島湾』とも伝わる)です。
では、なぜ西郷隆盛の作として広まったのでしょうか。それは、激動の幕末を駆け抜けた西郷隆盛がこの詩をこよなく愛し、自身の座右の銘として手帳に記したり、親族の少年や同志へ贈る書に認(したた)めたりしたためです。特に安政の大獄から奄美大島、さらには沖永良部島への流罪を経験した西郷にとって、どこで果てようとも志を貫くという月性の詩句は、自らの魂そのものだったと言えます。明治以降、西郷の遺墨を通じて言葉が一気に全国区となったため、作者の混同が生じる結果となりました。