大仏建立と彷徨う遷都の真相|聖武天皇が直面した危機と天平文化
大仏建立と彷徨う遷都の真相|聖武天皇が直面した危機と天平文化を徹底追究! 知っておきたい 重要ポイントを凝縮して配信します。
藤原広嗣の乱の最中、聖武天皇は平城京を突然離れ、東国へと行幸に出発します。ここから始まる5年間の慌ただしい移動劇は、歴史上「彷徨(ほうこう)の年」とも呼ばれます。
天皇は恭仁京(京都府木津川市)、難波京(大阪市)、紫香楽宮(滋賀県甲賀市)へと短期間で拠点を次々と移しました。この聖武天皇の遷都の理由には、平城京に満ちていた疫病の穢れや怨霊の影から逃れる意図に加え、反乱や貴族層の政治的干渉を断ち切り、新たな直轄地で強力な中央集権体制を再構築しようとする思惑があったと分析されています。
しかし、度重なる遷都は貴族や民衆に過重な負担を強いることになり、紫香楽宮周辺で発生した不審火や山火事など不吉な出来事も重なって、最終的に天皇は745年に平城京へと戻る決断を下しました。
この混乱期を通じて天皇が抱き続けた信念が、仏教の慈悲と超自然的な力によって国家の安寧を図る鎮護国家思想でした。目に見えないウイルスや社会不安に対して科学的な対抗策を持たなかった時代、天皇は自らを「三宝(仏・法・僧)の奴(僕)」と称し、国家事業としての東大寺大仏造立を決意します。生きとし生けるものすべてが栄える平和な世界を具現化することこそが、打ちひしがれた民衆と国家を統合する唯一の道だと信じたのです。