明暦の大火はなぜ起きた?死者10万人と「振袖火事」伝説の真相を徹底解説
明暦の大火はなぜ起きた?死者10万人と「振袖火事」伝説の真相を徹底解説の具体的な内容に迫る! わかりやすい言葉でご紹介しています。
江戸の象徴として君臨していた江戸城天守閣は、明暦の大火によって焼失して以降、現在に至るまで一度も再建されていません。4代将軍・徳川家綱を補佐していた会津藩主・保科正之が下した方針が、その決定打となりました。
幕府内では当然のごとく天守再建が議論され、石垣の普請まで進められていました。しかし、保科正之は次のように主張して計画を白紙撤回させます。
「天守は織田信長が築いて以来の軍事的な見栄に過ぎず、天下泰平の今にあって城の守りに実利はない。莫大な費用と資材を天守の再建に投じるくらいなら、住まいを失った江戸町民の救済と、焼け野原となった市街地の復興に充てるべきである。」
この極めて合理的なリーダーシップにより、幕府の資金は被災者への米の支給(お救い米)や復興資金の無利息貸付へと振り向けられ、江戸の社会不安は最小限に食い止められました。