朝鮮王の土下座「三田渡の屈辱」とは?清への降伏儀式と歴史の真相
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仁祖が逃げ込んだのが、堅固な山城として知られる南漢山城(ナムハンサンソン)でした。周囲を険しい山に囲まれた要塞で、朝鮮軍は約1万3000人の兵力で籠城を開始します。しかし、清軍の包囲網は完璧でした。
城内を襲ったのは、敵の砲撃だけではありません。折しも季節は厳冬期であり、氷点下の猛吹雪が吹き荒れる中、備蓄食料は瞬く間に底をつきました。兵士たちは馬の飼料や木の皮を口にして飢えをしのぎ、寒さで手足が凍傷にかかるなど、城内は文字通りの地獄絵図と化します。
各地から集まるはずだった援軍は清軍の精鋭騎兵に各個撃破され、最後の頼み綱だった江華島も清軍の水軍によって陥落。人質となった王族たちの身柄は清の手に落ちました。主戦派と和平派(主和派)の間で激しい議論が交わされた末、仁祖はこれ以上の抵抗を断念し、城を出て無条件降伏することを決断したのです。