ダルビッシュ有はどこのハーフ?国籍選択と家族の絆を徹底追跡
ダルビッシュ有はどこのハーフ?国籍選択と家族の絆を徹底追跡の基礎知識と応用に迫る! わかりやすい言葉でまとめました。
ダルビッシュ有投手は1986年8月16日、大阪府羽曳野市で誕生しました。現在でこそ国際結婚やミックスルーツの子どもは珍しくありませんが、1980年代後半から1990年代初頭の関西の地方都市において、際立った堀の深い顔立ちと大柄な体格を持つ少年は、良くも悪くも目立つ存在でした。
小学校に入学すると、周囲と異なる外見に対して心ない言葉を投げかけられることも少なくありませんでした。当時のドキュメンタリー番組や手記において、本人は「幼少期は周囲の視線に居心地の悪さを感じることがあった」と振り返っています。しかし、そうした環境下で彼を守り、強い精神力を育んだのが両親の教育方針でした。父・ファルサ氏は「人と違うことは素晴らしい才能だ。胸を張れ」と教え込み、母・郁代さんは温かい愛情で家庭を絶対的な安心基地として機能させました。
幼少期は父の影響でアイスホッケーやサッカーを経験しましたが、小学校2年生のときに地元の少年野球チーム「羽曳野ブラックファーム」に入団し、本格的に野球と出会います。羽曳野市立羽曳野中学校時代には「全羽曳野ボーイズ」に所属し、エースとして全国大会ベスト8、世界大会3位進出に貢献。すでに中学生の段階で身長は190cm近くに達し、その類まれなる才能は全国の強豪高校から注目を集めることとなりました。その後、親元を離れて宮城の名門・東北高校へと進学し、甲子園を沸かせる大投手へと成長していきます。
語学にまつわる真相|ペルシャ語や英語は話せるのか?
ファンの間では「ハーフだから幼少期からトライリンガルだったのか」という疑問が頻繁に浮上しますが、実態は大きく異なります。家庭内の共通言語は完全に日本語でした。父・ファルサ氏が流暢な日本語を操るため、ダルビッシュ投手自身はペルシャ語をほとんど話すことができません。
また、英語に関しても日本生まれ日本育ちの野球少年であったため、高校や北海道日本ハムファイターズ時代は一般的な日本人選手と同様の語学力でした。2012年にテキサス・レンジャーズへ移籍して以降、専属通訳に過度に依存せず、クラブハウスでチームメイトやコーチ陣と直接コミュニケーションを取るために猛勉強を重ね、現在のような流暢な英語力を身につけたという経緯があります。先天的なバイリンガルではなく、努力によってグローバルな適応力を手に入れた実力派であることが分かります。